SNSと怒りのはなし

これはSNS上の情報拡散についての仮説と妄想と決意です。


まず、第一にこんな仮説を立ててみた。

ある人が発した怒りという感情は、それを受け取った別のだれかの行動を封じ込める。
一方で自分の中に生まれた怒りという感情は、自分の行動にブーストをかける。


とすると、以下のように妄想を広げられる。

Twitterで発信されたどうでもいい極論がバズりやすいのは仮説の現象と関係している。誰かが吐いたヘイトに対して何か言及したくなったり、リツーイトをしたくなるのは、自分の心の中で生まれた怒りに行動を促されているのだ。結果としてヘイトに対して怒っているはずの自分がヘイトの情報拡散に加担してしまう。こんなの本末転倒だ。

(もっと怒りが発生しないような、一見どうでもいいようなところに大事なものがあるのになーもったいない。)

ただ、怒りが生まれたからといって、そのテーマがくだらないテーマだというわけでもない。
だから、怒りブーストに身を任せないで、ぐっとこらえて違う行動をとれるようにしたい。

例えばある対象が差別を受けていたとする。それを目の当たりにした時に、リツーイトして怒りを表明したくなってしまう。差別した人間を糾弾したくなる。そこで一歩ひいて我慢をする。

この差別をし・・・

 

~ここからは次回へ続く~

(文章書くの疲れただけ)

クリムト展に行った

 昨日、都美術館で開催されてるクリムト展に友達と二人で行った。

 無料で入れた。大学生でよかった。

 クリムトが18歳の頃に描いた少女の絵には面食らった。18歳であの光が描けてしまうという事実に少し食らった。天才の必要条件の一つを見てしまった気がする。

 1890年代前後の分離派を設立したあたりの絵の尖り具合が格好良かった。

「女ともだち(姉妹たち)」1907年

「ユディトⅠ」1901年

ベートーヴェン・フリーズ」1901年

の3つが特によかった。

 「女ともだちⅠ(姉妹たち)」は前に立った時、絵から二人の女性の白い顔が1cmくらい浮き上がっているように見えた。そのくらい顔が印象的だった。黒いコートと帽子が縦長のキャンバス大部分を占めていて、その上端に二人の顔が配置された構図だった。下部と右端の一部に服のパターンが二次元的に、ビビットにバランスよく配置されてて、視線が顔に誘導された。照明もよかったんだと思う。

 表情でいうと「ユディトⅠ」もめちゃくちゃ魅力的だった。「女ともだちⅠ(姉妹たち)」の女性も「ユディトⅠ」の女性も媚びてなくてこちらを見透かしていて少し嘲笑っているかのような目をしていた。クリムトはこういう女性が好きだったんだろうと思った。保守的な芸術界へ向けた視線でもあったんだろうとも思う。格好良かった。

 「ベートーヴェン・フリーズ」は体のデフォルメ具合が最高だった。決して理想化した体じゃないんだけど、筋肉とか骨格とか脂肪とかが線と面で格好よく表現されていた。形!カーブ!直線!って感じで萌えた。日本を含めたアジアの資料を収集して研究していたらしいけど、吸収と昇華の仕方が天才だと思った。

 あとは分離派の会報誌の表紙デザインとか分離派の展覧会のポスターもよかった。

 シンプルな線と色のパターンがしびれあがるくらいに格好良かった。あれの格好良さってどうやって言葉で説明すればいいんだろう。イラレで作るパターンと違って、手でコントロールされた線の魅力が出てたのかな。正方形の会報誌に波のモチーフが抽象的に描かれていて、文字も書体とサイズと配置が最高だった。リトグラフが石版画だってことも初めて知った。今のポスターでよくマットでシンプルなパターンが使われているのをよく見るけど、こういうところに源流があるんだと思った。

自分の好きな顔と体の描き方を会得したいと思った。

おしまい。

個展に行った

4月3日にネルノダイスキさんの原画展に行った。ブックギャラリーポポタムというギャラリーが併設された本屋さんで開催されていた。目白駅からちょっと歩いたところにある本屋さんだった。

ネルノダイスキさんはエソラゴトという漫画で知った。リアルとデフォルメの振り分けのバランスが最高に気持ちいい。一体どうやってあの精緻な描き込みをしているんだろうと気になっていた。

実物はここまで細かく描けるのかってくらい細かかった。人間の手はこんな線や点が描けるんだなと思った。

いろんな話を聞けた。画材の話、アナログとデジタルの話、白黒の話、エソラゴトの制作過程の話なんかも聞けた。こういうコミュニケーションができる人が周りにあまりいないからとても楽しかった。もっと写真を撮ればよかったと思う。

帰りにボールペンを買った。

家に帰って「ひょうひょう」を読んだ。不思議な世界の穏やかな猫たち。自分と心の温度が近い感じがして、読んでいて心地よくなった。

気になった人

昨日、菅俊一さんの個展「正しくは、想像するしかない。」を見に松屋銀座に行った。丁寧に作りこまれたシンプルで美しい作品で、頭がイメージを作るちょうどその瞬間を自覚させてくれた。人間の認知の力を気付かせてくれると不思議と嬉しくなる。鑑賞者の頭の中まで設計された格好いい展示だった。

そのまま銀座や有楽町あたりをふらふら歩いていたら、通りすがったギャラリーに見覚えのある絵のポスターが貼られてた。よく見たら、伊藤潤二さんの個展で、偶然に出会えたからかなりうれしかった。たくさんの名シーンの原画を実際に見れた。線の数と密度にはほんとうに圧倒された。小さな原稿に正確に、大量に線を敷き詰め、かつ、絵として調和を保つ技術の高さ。もう最高。

ギャラリーの中に一人の女の人がいて、一枚一枚じっくりと原画を見つめていた。一枚につき2~3分は見ていたかな。顔はマスクもしてたしよく見えなかったけど、たぶん20代。髪はまっすぐで長くて、黒い革ジャンを着てた。自分も絵を近くで見たかったから、その女の人が見ている絵をなかなか見れなくてちょっと邪魔だと思った。一方で、この人はどんな人なんだろうと声をかけたくなった。実際には声をかけるわけないんだけど。Twitterで、化粧をして伊藤さんの漫画に出てくる女の人に扮する人を見たことがあるから、その人かもしれないと思った。一枚の絵を見るのに自分の何倍も時間をかけているその女の人にはいったいどんな風に伊藤さんの絵が見えているんだろう。

自分が見えない世界を見ている人は魅力的だし、そういう人の話を聞くのって楽しいよね。

見たことない強い表現じゃないと見入らない。何か精巧な複数の少し離れたものが画面に、時間に、ちょうどいい密度で配置されているとぞくぞくする。当たり前のものがだらだらと連なっているだけでは眠くなってしまう。修練が眠くなるのはそういうことなのかもしれない。混ぜながら、脳みそをびっくりさせながら鍛えることも楽しめるといいのかもしれない。

あとは日常。この日常に何かを混ぜる。そうしないとちょっとまずい。ゴキブリに生活を圧迫されないようにほかでもない自分がこの部屋に住まなきゃならない。事後の報告をしたい。

研究テーマ

退屈な創作物を見ているのはつらい。特に映像、音楽に関して時間を埋めきる情報量が欠けているものは、血中のアドレナリン的な興奮するホルモンがすぐに薄まってしまう。それはストーリー的、意味的な新しさでもいい。造形的・色彩的・動作的な新しさでもいい。聴覚的な新しさでもいい。とにかく、今までの脳みその経験を裏切るような新しい入力が継続的に行われなければならない。そうしなければ途端に時間を使った作品は退屈になる。

どのくらいのスパンで驚かされればおもしろいのだろう。自分の好きなYouTubeの動画を使って測ってみようと思う。経験上、情報が常に画面を満たして落差を感じられないものも興奮を削いでしまう。漫画のような静止したものを自分のリズムで追うことができる形態であれば、かなりの情報を盛り込んでもいいのだろう。

瞬間的な観点と、時間的な観点双方から最適な情報の質とバランスを探ることをテーマにしたい。

マニアじゃないけど本屋が好き

僕は記憶力が悪い。いわゆるオタクみたいな人とか、~~マニアみたいな人が持ち合わせるような、あるジャンルについての膨大で体系的な知識を蓄える能力はない。でも、そんな僕でも、好きなものの好きなところを語りたい。どうしても歴史とか系譜を語れる人を偉く感じてしまうけれど、心が動くことに偉いとかそういうことはないはず。あと、こうして書いていかないと好きなことを忘れちゃうから。

 

今日好きだってことを思い出したのは、本屋だ。本屋という空間が好きだ。全然読書家じゃないし、月に1冊も本を読まないこともある。でも、知らない街に来たら、まず本屋を探す。大きい本屋の方が好きかもしれない。その方が僕の好きなジャンルの本が充実しているから。

 

本屋さんに入るとまず美術書のコーナーを探す。美術手帖とかイラストレーションとか芸術新潮みたいな芸術系の雑誌だったり、平積みされてる写真集とかをパラパラめくる。

美術手帖|株式会社美術出版社

イラストレーション | 玄光社

芸術新潮 | 新潮社

 

あとは文芸誌のコーナーに行ってユリイカとか現代思想の最新刊をチェックする。こうやって書いてみると好きな本のサイズ感が分かる。ユリイカみたいなタイプの本てなんて呼ぶんだろう。

青土社 ||ジャンル別一覧

 

他にもデザイン系のコーナーだったり、プログラミング系のコーナーを買いもしないのにぐるぐる歩き回る。一通りねり歩いたら満足して次の本屋に向かったり、そのまま帰ったりする。

 

お金を使わなくても許される空間だから居心地がいい。ぶらっと散歩のコースみたいに使ってもオッケー。公園よりも刺激的で、買いたいときだけ本を買えばいい。インターネットと違って手の込んだ情報が集まっているのもいい。インターネットでも好きな情報に接することができるけど、編集に掛けてある手間暇みたいな愛情はどうしても本には敵わない。あとは、インターネットは広告の臭いがきつい所も欠点。

 

具体的には神保町の東京堂書店が好き。ユリイカとか現代思想のバックナンバーが充実しているし、外装も内装も落ち着いていておしゃれなのもポイントが高い。

東京堂書店-Books Tokyodo

 

横浜の西口にあったブックファーストも好きだった。ダイエーのビルの5階と6階に入ってて、内装は地味だけど結構でかい。デザイン系の本とか、プログラミング系の本も充実してた。なんだけど、今年の1月いっぱいで閉店しちゃった。横浜で暮らし始めて、ちょっとずつ好きになり始めた横浜の場所の一つだったのに。寂しい。1月にそのことを知って、その日にそこでたくさん本を買った。1万円近く買った。『未来ちゃん』とafter effects 、premiereの教本2冊。まだ全然勉強はできてないけど。

 『未来ちゃん』 | ナナロク社

 

本屋の閉店は文化の死を感じるからつらい。普段あまり寂しさみたいな感情を抱かない分、それだけ僕は本屋が好きなんだなということを感じる。あと、僕のなかで街の表情のかなり大きな部分を本屋が占めているから、本屋がなくなるとその街との接点が一つ消えてしまうような感覚になる。

 

本屋とは違うけど、最近ギャラリーという場所に興味が湧いている。手の込んだ、愛情の詰まった、素敵なものが待っている空間。今週行ってみようと思っているギャラリーがある。Twitterで見つけたイラストレーターさんのumaoさん。青を基調にしたかわいい絵を描いていて、恐竜とかワニをモチーフにした作品がめちゃくちゃいい。蔵前にあるTOKYO PiXEL. ってところで個展を開くそうだから行こうと思う。人生初のギャラリーになる。ちょっと楽しみだ。本屋みたいな居心地を持った空間なのかな。もうちょっと違う性質を持っているのかな。好きなものを増やして、世界を広げたい。

http://shima-umao.tumblr.com/post/178269346055/summer-20187-20188-umao

shima-umao.tumblr.com